これは衛星画像をつかい主に千葉市南部における中世城郭(城館)の分布を表示したものです。千葉市南部は房総半島のくびれ部分、すなわち内房・外房をつなぐ最短のコースにあたります。戦国期に台頭した原氏、土気酒井氏いずれもこのコース沿いに本拠をおいたことは、偶然ではないでしょう。上総下総の国境地帯でもあり、戦国期には安房里見氏と北条氏、ふたつの大勢力の激突の舞台となりました。古代より使用されたであろう村田川、臼井・本佐倉方面にいたる南北の陸上交通路。これらの交通路の要地に城郭が分布する傾向がみてとれます。
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 ・近世の城館・陣屋についてはマークしていません。たとえば御茶屋御殿はかきこまれていません。
 ・すべての中世城郭をマークしていません。遺跡地図に掲載されているものでも小規模な屋敷・館については省略しています。また未発見の城郭が存在することがじゅうぶん予想されます。逆に城郭かどうか疑問の残るものもマークしています。
 ・隣接する市原市・茂原市・八街市域の城郭もマークしています。
 ・便宜上おおむね以下のような方針でマークを色分けしました。
   ■北条氏または佐倉千葉氏または原氏の勢力下にあったと推定される城郭 
   
■里見・正木氏の勢力圏下にあったと推定される城郭(または里見氏が攻城用に築造したと推定される城郭)
   
■土気酒井氏の勢力圏下にあったと推定される城郭 
   ■永禄年間に廃絶していたと推定される城郭
   
×××古戦場(伝承等により各色の勢力が攻撃したと推定される場所)
安房里見氏の侵攻が最高潮に達しようとする永禄年間を想定していますが、各城郭がどの勢力の城か、特定の勢力(たとえば土気酒井氏)がいつ北条側についていたか、里見についていたか、など不明なことが多いようです。色分けはあくまで全体としての勢力圏の傾向を示唆するためのものにすぎず個々の城郭の帰属についての正確な情報を与えようとするするものではありません。便宜上、永禄年間に廃絶している可能性もある城館もマークしてしまっています。もちろんはっきりした間違いがありましたら、ご指摘いただければ幸いです。
・市外の一部城郭については現地での確認をしていません。千葉県文化財センター 『第376集千葉県埋蔵文化財分布地図3−千葉市・市原市・長生地区(改訂版)− 』1998年6月で位置を確認しました。
・上総国分寺・国分尼寺(市原市役所西・北東)の位置に赤で
寺マークをつけました。これらの寺院に瓦を供給していた古代の千葉市の土気地区、ひいては中世における土気地区を考えるうえで上総国府との地理的関係は無視できない要素だからです。

 (謝辞)
  使用した衛星画像の原画は
 千葉大学環境リモートセンシング研究センター(CEReS)より提供をうけたものです。これに空撮仕掛人が多少の調整加工をくわえ、遺跡の分布のデータを重ねています。すばらしい画像の使用を許可してくださった同センターにたいし感謝の意を表する次第です。


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宇宙からみる城郭群
―千葉市南部―
(Landsat-7 2001年11月26日撮影 解像度15mBAND TRUE COLOR PAN SHARPEN)