空撮 長作城山城・城山貝塚 (1974年)
千葉市花見川区長作字城山 
 写真にマウスポインターをおくと、遺跡などのマークが現れます(java使用)。 ■概説 長作周辺の遺跡(工事中)
■空撮 長作周辺の遺跡(1/10000))
■空撮 長作築地貝塚(1974年)
■長作周辺を歩く(1)
■習志野(南東) 国土地理院 1/25000  
長作城山貝塚:
北緯35度40分48秒,東経140度4分40秒

★長作城山城

 別称「長作城」。長胤寺城の北東約800m。南東に突き出た細長い舌状台地先端部に立地する。台地の基部側は現在、民家が密集しており、城域であったかどうか不明である。確認できる範囲で述べると、3方は急斜面で守られ、台地基部との間は比較的大きな土塁(現状で比高差3m以上)で独立の空間がつくられている。また東縁に沿い土塁の跡が残っている。清川一史「房総の中世城郭」(『千葉県の歴史』2号1976年)によると、西側斜面に竪堀があったようだが、現状では不明(渡辺太助氏も記憶にないとする)。台地上の城内は、段差をつけて、先端部側が一段高く、台地基部側が低くなっており(土塁造成の結果か)、2郭に分けられている。台地上からは花見川とその支流がつくる、長作・畑町・武石・幕張の水田地帯を一望することができる。台地基部には東金御成街道が通っており、とくに東金方面から来る御成街道を監視する絶好の場所でもある。北約1kmにいくと、近世の馬牧、下野牧が広がる。
  この城の性格としては次の可能性が考えられる。
  (1)地域防衛的な意味をもつ長胤寺城の出城
  (2)御成街道の前身(中世の街道)を監視する中世の出城
  (3)家康の休息・警護施設あるいはそれと関連した御成街道の中継基地的な近世初期の城。
  (4)馬牧(近世または中世?)の関連施設
 上記は並存しうる可能性だが、城山城から北東対岸200mの台地先端部「浅間山」は家康が休息したという伝承が残っており、とくに(3)の可能性が気になる。いずれにしろ、根古屋集落と思われる集落が見当たらないのは、この城郭の出城的性格を示唆するものだろう。

●家康と長作城山城
※浅間山=家康休息所については、地元在住の河野達二氏による。同付近には「飯後塚」の小字ものこる。なお氏は、長作小学校付近まで城山城の城域である可能性を指摘しており、東対岸の「坊辺田」は「防辺田」であるとし、城山城との関係を想定する


※家康は、その最晩年にあたる時期、2度、東金で鷹狩をするために御成街道を利用している。その1回目は、慶長19年、1614年1月である。幕府筆頭老職久保忠隣の失脚(1月14日)という幕府を揺るがす政変が進行しつつある時期であり、大坂冬の陣(11月)の直前でもあった(→年表)。1月7日の晩、家康は、青戸御殿に宿泊。翌8日早朝、青戸を出立。船橋御殿で休息後、できたばかりの御成街道を通って、長作村に至り、昼飯をとり、鷹狩も行ったという浅間山の伝承はこのときのものである可能性が大であろう。なお長作での鷹狩を行った後、金親村金光院で休息。御茶屋御殿に宿泊した。
 家康の、2度目の御成街道の利用は、1度目の翌年、大坂夏の陣の直後、1615年11月である。このときは、東金からの帰途、11月25日に、家康は、船橋
御殿に宿泊したが、その晩、船橋は大火災に見舞われた。御殿は焼失を免れたものの、民家のほとんどが焼失した。船橋には「家康の命を狙った賊が、夜陰に乗じて火を放った」 「家康は鉄砲で撃たれた」といった伝承が残っている、という(以上、本保さんの「御成街道小史」)。事実かどうかはともかくとして、家康の身辺になお強い警護体制をひく必要があると認識されていたことはたしかだろう。道中は上総七十騎(高橋七十騎)と呼ばれる旗本集団が警護にあたっていたらしい。家康警護のために新造されたものでないとしても、長作城山城の存在は、当然、彼らに考慮されていたはずである。さらに前述の「長作で鷹狩」の記事は興味を引く。鷹狩とは一面軍事演習であり、このとき長作城山城を使用したという可能性もないだろうか。

★長作城山貝塚


 縄文早期(茅山上層式)の貝塚。小型のハイガイが主体でマガキがまじる(→■長作周辺を歩く(1))。斜面の貝殻散布は顕著であるが、2004年11月下旬行われた確認調査により、縄文時代の貝塚形成時そのままの状態でなく、後世(おそらく城郭造成時)、台地上を掘削したときに移動したものであることが明らかになった模様である。縄文時代早期貝塚ベルト地帯の西側の部分をなす。重要な遺跡である。貝種は異なるが、すぐ近くの低地の清水前貝塚についても縄文早期の貝塚である可能性が指摘されている。地蔵作遺跡も縄文早期の遺跡である。

 長作城山城・城山貝塚、両遺跡は、宅地開発が計画されており、消滅の危機にさらされている。2004年11月現在、樹木が伐採され丸裸の状態にある(→■長作周辺を歩く(1))。
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空中写真は国土画像情報(カラー空中写真)(c)国土交通省 を使用。(1974年国土地理院撮影) 縮尺約1/2500相当に縮小。