- おしもとかいづか。台地上および斜面。標高約24〜20m。南西から北西に都川支流を臨む。周辺の都川流域の貝塚と比較し、特異な地形に立地している(→押元貝塚 @園生貝塚研究会)。都川本流と支川都川にはさまれた大宮町の台地の北西に位置する。押元貝塚から支流経由で都川本流合流点まで約1.4m。丹後堰まで約2.6km。旧海岸線(埋立前)まで約6.6km。
- 環状貝塚。東西約110m。南北約80m。U字形。北東に向かい開口。点列環状貝塚から環状貝塚へ移行した形態。貝層の厚さ1m(園生貝塚研究会)。
- 貝種の主体は時期により明確に異なるという特徴がある。堀之内期(縄文時代後期前葉)の貝層が小型ハマグリ。加曽利B〜安行式期(縄文時代後期中葉〜晩期前半)がイボキサゴ。
- 土器塚状の土器片集中箇所が見られる。
- 貝層周辺だけ黒ボク土になっており、園生貝塚研究会は縄文人が「有機物を廃棄したり,ススキや篠竹が繁茂するような草原の維持をはかったため」と推定する。
- 千葉市では数の少ない弥生時代中期の遺跡でもある。
- 縄文時代中期・後期・晩期。弥生時代・古墳時代・中世・近世の複合遺跡である。
- 字「押元」は、字「宿」の北にあたる(→■空撮 大宮・仁戸名 支川都川流域城郭群)。南西の台地下に「押出」という字名がある。「押元」と「押出」でセットの地名か。南西ないし南に所在する城山城・栄福寺館関連の地名か。
- 以上、内容の多くは、押元貝塚 @園生貝塚研究会に負っている。詳細はそちらをご覧いただきたい。
(参照)
園生貝塚研究会1998 「活動記録」 『貝塚研究』第3号。
千葉県教育委員会1983 『千葉県所在貝塚遺跡詳細分布調査報告書』。
千葉県文化財センター1998 『第376集千葉県埋蔵文化財分布地図3−千葉市・市原市・長生地区(改訂版)−
』1998年6月。
千葉市教育委員会文化課2000 『千葉市遺跡地図』2000年。
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