空撮 雅楽谷遺跡・環状盛土遺構(1974年) (2) 1/2500
埼玉県蓮田市黒浜 
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■宇宙からみる巨大環状貝塚群(4) -奥東京湾(江戸川) 野田・松戸・市川・船橋・埼玉県東部 
■環状盛土の分布-関東
 
 国土地理院 岩槻(北西) 1/25000  
 北緯35度59分54秒,東経139度40分22秒
 目標 国立病院機構東埼玉病院
 
     黒浜運動公園

 「うたや」遺跡。以下、渡辺清志2004によって、記述する。環状盛土遺構。盛土部分の最大径約160m。中央窪地最大径約45m。盛土と窪地の比高差最大約3m。盛土は、元荒川左岸、大宮台黒浜支台、台地西端部にあり、西側の谷に向い開口し、C字形ないし馬蹄形をなす。「盛土の下から検出される遺構はほとんど後期中葉のものであり、一方晩期中葉の安行3c式、3d式よりも新しい遺物はほとんど出土していない。このことから盛土の形成は遅くとも縄文時代後期中葉にはじまり、遅くとも晩期後葉には完了していることがわかる」。「多量のローム粒子を含む暗黄褐色土が広く盛土上面を覆っており、晩期中葉の土器は主としてこの暗黄褐色土層中から出土していることから、本格的な地形の改変が始まるのは晩期以降の可能性が高い」(渡辺清志2004)。
 雅楽谷遺跡は、すでに1975・6年の調査で、縄文後・晩期の集落跡であることがわかっていたが、その後、1990年の栃木県寺野東遺跡の発掘調査を契機に、馬場小室山遺跡とともに、埼玉県内の環状盛土遺構のひとつとして注目されるようになった。2004年の調査は、東埼玉病院の病棟建設に伴うもので、環状盛土遺構の南外縁部、2195平米にあたる。竪穴住居跡2軒、竪穴状遺構2基。土壙17基。土器埋設遺構5基。炉跡2基。柱穴状ピット多数などが検出された。大半の遺構は後期中葉。そのほか人面付土版、壷形土器、耳飾、黒曜石原石などが出土した。環状盛土は、調査範囲のほぼ全体におよび、現地形よりもさらに南に広がっていることが確認されたという(以上、渡辺清志2004)。

(ほかの環状盛土遺構)
  ■空撮 馬場小室山遺跡 (1)周辺 (1974年)
  ■空撮 井野長割遺跡 (1)周辺 (1974)
  ■空撮 三輪野山貝塚 (1)周辺 (1974年)
  ■空撮 三直貝塚 (1)周辺・三直城 (1974年)
  ■空撮 寺野東遺跡(栃木県小山市)(1)周辺(1974年
  ■空撮 草刈堀込遺跡 (1974年)
  そのほか曲輪ノ内貝塚(曲輪ノ内貝塚と遠部台遺跡(佐倉市)のルポ @歴史に好奇心 さわらび通信)。など
  その可能性のあるものは少なくない

(参考)
 ・渡辺清志2004 「蓮田市雅楽谷遺跡の調査」

 ・埼玉県埋蔵文化財調査事業団1990 『蓮田市雅楽谷遺跡 : 県立蓮田養護学校関係埋蔵文化財発掘調査報告』 (未見)
 ・「雅楽谷遺跡」埼玉県埋蔵文化財調査事業団
 ・「遺跡名一覧」蓮田市
 ・雅楽谷遺跡出土土器」文化遺産オンライン

(注意) 環状盛土の分布のマークについては、渡辺清志2004を参照しましたが、全体のイメージを与えるため、推測を大幅につけ加えており、また専門家の校閲も経ていません。とくに外縁部は不明です。より大きい可能性があります。あくまで目安程度に考えてください。どこまで確かか、正確な情報は、直接、渡辺清志2004ほか、調査報告書などにあたってください。間違っている点があれば、ご教示ください。


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空中写真は国土画像情報(カラー空中写真)(c)国土交通省 を使用。(1974年国土地理院撮影) 縮尺約1/2500相当に縮小