空撮 みつわ台周辺 (1974年)
千葉市若葉区源・東寺山・みつわ台・殿台・萩台 
国土画像情報(カラー空中写真)(c)国土交通省 を使用。
(1974年国土地理院撮影) 撮影縮尺1/10000相当に縮小
 写真にマウスポインターをおくと、遺跡などのマークが現れます(java使用)。 ■殿台貝塚・殿台城
■廿五里南・北貝塚 
■東寺山貝塚
■千葉東部(北西) 国土地理院 1/25000  
北緯35度38分32秒,東経140度6分40秒 


 ★この地域の中心的な歴史遺産としては、第1に園生貝塚、第2に、千葉山星宮塚等千葉氏墳墓群)をはじめとする千葉氏関連の史跡が挙げられよう。写真外だが、東寺山の台地南縁には、東寺山古墳群が分布する。
  • 園生貝塚は直径約120mの縄文後期・晩期の貝塚である。標高25m。国道16号線と京葉道路が交差する穴川インターチェンジの西わきの森に所在する(道路環境のためにも園生貝塚の森は重要)。現在、千葉都市モノレール「穴川』駅の駅前でもある。園生貝塚については■空撮 園生貝塚 (1974年園生貝塚研究会園生貝塚の概要などを見よ。そのほか以下の参考文献HP参照。
     
      
  • 貝層周辺には集落址が広がっていたと推定される。
      
  • 園生貝塚の箱型台地の北側の谷(字「日堀」、軍小銃射的場)わきに湧水地点があり、三角池という池があった。三角池から小川が流れ、草野水路・園生支谷につながっていた。園生貝塚人はこの水路を使って稲毛付近の海に出て漁をしていたと考えられる。
        
  • 園生貝塚の南西にある土塁は、城館跡の遺構などの見方があったが、陸軍小銃射的場の施設である。戦争遺跡として重要であろう。なお園生貝塚の北の谷(日堀)は、射的場であったが、太平洋戦争中は、戦車を保管するのに利用されていたという。
     
  • 星宮塚をふくむ塚群(勝田田古墳群)は、園生字石堂に所在し千葉氏代々の墓群と伝えられ、千葉山の名で知られる。骨臓器が出土している(→千葉山発掘資料)千葉山は金蔵院の所有・管理地であり、「金蔵院山」という字名も伝わっている(一部個人所有地)。千葉寺・千葉神社・千葉山と南北に一直線に並ぶ位置関係は偶然でないとする見方がある。
     
  • 園生村の旧集落は金蔵院付近の台地下に所在する。金蔵院裏山の園生城跡には妙見社(園生神社)がある。裏山北の奥宮のある場所がもとの位置である。妙見菩薩はいうまでもなく千葉氏が崇拝した神仏である。
     
  • 金蔵院北西役200mに所在する西街道塚からも骨臓器が出土している(→千葉山発掘資料)。中世におけるこの地域の支配層の墓と考えられる。こちらも千葉氏関係者の墓である可能性がある。
        
  • スケール・遺構などのマークは、おおまかな目安である。より正確には参考文献等を参照されたい。
      
                            
    (参照) 

    ・岡田茂弘・宇田川浩一2000 「園生貝塚」 千葉県史料研究財団編2000 『千葉県の歴史 資料編 考古1 (旧石器・縄文時代)』。
     
    ・園生貝塚研究会編1996 『貝塚研究』1号。 

    ・園生貝塚研究会編1998 『貝塚研究』3号。

    ・千葉県教育委員会1983 『千葉県所在貝塚遺跡詳細分布調査報告書』。

    ■空撮 園生貝塚 (1974年)
    ■千葉山園生貝塚をあるく@千葉市の遺跡を歩く会
    2001年5月の遺跡めぐり - 千葉山・園生貝塚周辺を歩く千葉市の貝塚


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