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●大厩館址 辺約250m方形の館址。原氏の配下の大厩氏の居館か。こちらを参照。 ●下郷古墳群 径7-26mの円墳5基よりなる。次項大厩古墳群の項参照。 ●大厩古墳群 浅間様古墳、二子塚古墳などほか、10〜25mほどの円墳19基、方墳6基、帆立貝式1基よりなる。 大厩から、1ないし1.5kmほど北西の台地は菊間古墳群(前方後方墳1基、前方後円墳1基、円墳14基,方墳3基,)が所在し、菊間国造の本拠地と比定される菊間である。近接する地にある大厩古墳群、下郷古墳群ともに菊間国造関連の墓域であろう。 ●菊間国造 『国造本紀』(現代語訳)によれば、成務天皇の御世(4世紀か)に、房総の地に菊間国造(くくまのみやつこ)等を立てたとあり、市原市菊間は菊間国造の本拠地と比定される。菊間国造の勢力は、養老川右岸、上海上国造と接するところまで及んだといわれる。なお千葉市域では南部の大覚寺山古墳、七廻塚古墳について、菊間国造との関連を考える見方がある。 ●大厩浅間様古墳 せんげんさまこふん。4世紀後半、古墳時代前期の墳丘径50m強の円墳(遺跡地図では45m×11.5m)。1984年、1990年に発掘調査。木棺直葬3。短剣・.銅鏡・石釧の他、多種の玉類を出土した。墳丘下から弥生中期の方形周溝墓が検出された。きわめて重要な古墳だったが、開発により調査後消滅させられることとなった。同時期の古墳として、菊間古墳群に新皇塚古墳(しんのうづか、38×7.8mの前方後方墳、一部消滅)がある。 ●大厩二子塚古墳 4世紀後半。浅間様古墳より後。全長約70m(63m)の前方後円墳。前方部幅25.6m 高さ4.5m、後円部径37.5m 高さ7.5m(はにわ博物館友の会1998による) (参考)
(注意) マークについては、おおまかなイメージを与えるためのものであり、位置・大きさ等、正確ではありません。旧地名についても同様です。あくまで参考程度に考えてください。間違っている点があれば、ご教示ください。 |
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