空撮 大厩館・大厩遺跡群(1974年) 
千葉県市原市大厩(おおまや) 
画像にマウスポインターをふれると、古墳などのマークが現れます。マークの形は、円墳・方墳・前方後円墳の形を反映しています。
■宇宙からみる城郭群 −千葉市南部−
■巨大環状貝塚群(1)-東京湾北東岸 千葉・市原
■空撮 大厩館(1/2500)
 国土地理院 蘇我(南西) 1/25000  
 北緯35度31分47秒,東経140度9分18秒

 ●大厩館址 
 辺約250m方形の館址。原氏の配下の大厩氏の居館か。こちらを参照。 

 ●下郷古墳群
 径7-26mの円墳5基よりなる。
次項大厩古墳群の項参照。

 ●大厩古墳群
 浅間様古墳二子塚古墳などほか、10〜25mほどの円墳19基、方墳6基、帆立貝式1基よりなる。
 大厩から、1ないし1.5kmほど北西の台地は菊間古墳群(前方後方墳1基、前方後円墳1基、円墳14基,方墳3基,)が所在し、菊間国造の本拠地と比定される菊間である。近接する地にある大厩古墳群、下郷古墳群ともに菊間国造関連の墓域であろう。


 ●菊間国造
『国造本紀』(現代語訳)によれば、成務天皇の御世(4世紀か)に、房総の地に菊間国造(くくまのみやつこ)等を立てたとあり、市原市菊間は菊間国造の本拠地と比定される。菊間国造の勢力は、養老川右岸、上海上国造と接するところまで及んだといわれる。なお千葉市域では南部の大覚寺山古墳七廻塚古墳について、菊間国造との関連を考える見方がある。

 ●大厩浅間様古墳
 せんげんさまこふん。4世紀後半、古墳時代前期の墳丘径50m強の円墳(遺跡地図では45m×11.5m)。1984年、1990年に発掘調査。木棺直葬3。短剣・.銅鏡・石釧の他、多種の玉類を出土した。墳丘下から弥生中期の方形周溝墓が検出された。きわめて重要な古墳だったが、開発により調査後消滅させられることとなった。同時期の古墳として、菊間古墳群に新皇塚古墳(しんのうづか、38×7.8mの前方後方墳、一部消滅)がある。

 ●大厩二子塚古墳
 4世紀後半。浅間様古墳より後。全長約70m(63m)の前方後円墳。前方部幅25.6m 高さ4.5m、後円部径37.5m 高さ7.5m(はにわ博物館友の会1998による)

(参考)
小高春雄1999 『市原の城』 小高春雄発行
芝山町教育委員会、芝山町立芝山古墳・はにわ博物館友の会1998 『房総の古墳を歩く』
千葉県文化財センター1998 『第376集千葉県埋蔵文化財分布地図3−千葉市・市原市・長生地区(改訂版)− 』1998年6月
市原市文化財センター
房総の古墳を歩く/市原市北部の古墳@芝山町立芝山古墳・はにわ博物館 
l国造本紀(現代語訳)天璽瑞宝:物部氏ファンのページ
「大厩館」Yogo君のホームページ


(注意) マークについては、おおまかなイメージを与えるためのものであり、位置・大きさ等、正確ではありません。旧地名についても同様です。あくまで参考程度に考えてください。間違っている点があれば、ご教示ください。


空撮目次 水系別リスト ■衛星画像インデックス

| 千葉市の遺跡を歩く会・本館トップメニュー |新館トップメニューパノラマ砦|
| ごあいさつ| 掲示板 / 旧掲示板/ | 活動記録(遺跡めぐり以外)|  
お知らせ|
利用上の注意| リンク集  |


COPYRIGHT 2005 kusatsushikakenin

空中写真は国土画像情報(カラー空中写真)(c)国土交通省 を使用。(1974年国土地理院撮影) 縮尺約1/10000相当に縮小