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雅楽谷(うたや)遺跡。環状盛土遺構を伴う縄文時代後期・晩期の集落跡。元荒川左岸、大宮台黒浜支台、台地西端部(標高約14-15m)に位置する。馬場小室山遺跡の北北西約11km。 環状盛土遺構の形成時期は後期中葉から晩期後葉。本格的形成は晩期か。盛土部分の最大径約160m。中央窪地最大径約45m。盛土と窪地の比高差最大約3m。(以上、2004年の調査概要、渡辺清志2004)。より詳しくは(2) 1/2500の説明を見よ。 雅楽谷遺跡は、すでに1975・6年の調査で、縄文後・晩期の集落跡であることがわかっていたが、その後、1990年の栃木県寺野東遺跡の発掘調査を契機に、馬場小室山遺跡とともに、埼玉県内の環状盛土遺構のひとつとして注目されるようになった。2004年の調査は、東埼玉病院の病棟建設に伴うもので、環状盛土遺構の南外縁部、2195平米にあたる。竪穴住居跡2軒、竪穴状遺構2基。土壙17基。土器埋設遺構5基。炉跡2基。柱穴状ピット多数などが検出された。大半の遺構は後期中葉。そのほか人面付土版、壷形土器、耳飾、黒曜石原石などが出土した。環状盛土は、調査範囲のほぼ全体におよび、現地形よりもさらに南に広がっていることが確認されたという(以上、渡辺清志2004)。 なお付近には、黒浜式土器の名でも知られる縄文時代前期の標識遺跡、黒浜貝塚群がある(縄文時代中期の貝塚もふくむ)。元荒川左岸、北足立台地縁辺、標高16m。さらにその南西、綾瀬川左岸台地南西縁標高15mにはこれもまた縄文前期の関山式土器の名で知られる関山貝塚(関山一丁目)がある。主な貝種ハイガイのほか、ヤマトシジミ。 (ほかの環状盛土遺構) ■空撮 馬場小室山遺跡 (1)周辺 (1974年) ■空撮 井野長割遺跡 (1)周辺 (1974) ■空撮 曲輪ノ内貝塚・遠部台遺跡・江原台遺跡周辺 (1979年) ■空撮 三輪野山貝塚 (1)周辺 (1974年) ■空撮 三直貝塚 (1)周辺・三直城 (1974年) ■空撮 寺野東遺跡(栃木県小山市)(1)周辺(1974年) ■空撮 草刈堀込遺跡 (1974年) そのほか曲輪ノ内貝塚(曲輪ノ内貝塚と遠部台遺跡(佐倉市)のルポ @歴史に好奇心 さわらび通信)。など その可能性のあるものは少なくない。 (参考) ・渡辺清志2004 「蓮田市雅楽谷遺跡の調査」 ・埼玉県埋蔵文化財調査事業団1990 『蓮田市雅楽谷遺跡 : 県立蓮田養護学校関係埋蔵文化財発掘調査報告』 (未見) ・「雅楽谷遺跡」@埼玉県埋蔵文化財調査事業団 ・「遺跡名一覧」@蓮田市 ・「雅楽谷遺跡出土土器」@文化遺産オンライン (注意) 環状盛土の分布のマークについては、渡辺清志2004を参照しましたが、全体のイメージを与えるため、推測を大幅につけ加えており、また専門家の校閲も経ていません。とくに外縁部は不明です。より大きい可能性があります。あくまで参考程度に考えてください。どこまで確かにいえるかなど、正確な情報は、直接、渡辺清志2004ほか、調査報告書などにあたってください。間違っている点があれば、ご教示ください。 |
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