貝塚リスト

千葉市の巨大貝塚 −豊かな海の記憶ー

 

今は失われた豊かな海の痕跡   縄文人がわれわれに残してくれたメッセージ・・・

 

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No.
名 称
所在地
空中写真
  時 期
(縄文時代)
大きさ(m)
東西×南北
備 考
1 草刈場貝塚 若葉区貝塚町 中・後・晩期 200×180 環状閉鎖型貝塚として世界最大。千葉貝塚(貝塚町貝塚群)の中でも超重要な貝塚だが、史跡指定はなされていない。早急な手立てが必要な貝塚。
台門貝塚 若葉区貝塚町 中・後・晩期 200×170 千葉貝塚(貝塚町貝塚群)
荒屋敷貝塚 若葉区貝塚町 前・中・後期 150×220 千葉貝塚(貝塚町貝塚群)。国指定史跡。貝塚トンネル下。周囲に貝塚城の腰曲輪。
4 月ノ木貝塚 中央区仁戸名町 中・後期 200×150 国指定史跡。約100mの距離にへたの台貝塚
誉田高田貝塚 緑区高田町 中・後期 200×150 都川本流最奥部の大貝塚。
長谷部貝塚 緑区平山町 中・後期 200×150  県指定史跡。1960.6.3 ゴルフ場「袖ヶ浦カンツリークラブ・袖ヶ浦コース」内。
犢橋貝塚 花見川区さつき丘 後・晩期 200×150 こてはし貝塚。1981.10.23国指定史跡。花見川左岸上流。晩期中心。海岸線から4〜5km. 貝種から印旛沼方面との関係も注目される。160×180m.
上赤塚貝塚 中央区南生実町 中・後期 150×200 北端、一部公園化。説明版では直径80m。六通貝塚(!?)の貝層断面が展示。
加曽利南貝塚 若葉区桜木町 中・後・晩期 200×140 馬蹄形。国指定史跡。加曽利北貝塚と連結しており、二つあわせて「世界最大級の貝塚」加曽利貝塚といわれている。
10 森台貝塚 中央区南生実町 早期、後期 180×150 馬蹄形。小弓城(南生実城)内。90×110m点列環状貝塚。
11 矢作貝塚 中央区矢作町 早・前・中・後・晩期 150×150 矢作城。
12 廿五里南貝塚 若葉区東寺山町 中・後期 150×150 180×160.北100mのところに廿五里北貝塚。
13 築地台貝塚 緑区平山町 中・後・晩期 150×150 東金道路わき。瓦出土。
14 殿台貝塚 若葉区殿台町 中・後・晩期 140×140 殿台城との複合遺跡。
15 多部田貝塚 若葉区多部田町 後期 120×150 平和公園内。直径約140m。
16 加曽利北貝塚 若葉区桜木町 中・後期 130×130 環状。国指定史跡。加曽利南貝塚と連結。加曽利貝塚
17 東寺山貝塚 若葉区東寺山町 中・後期 120×140  県指定史跡。150×120
18 園生貝塚 稲毛区園生町 後・晩期 130×120  穴川ICわき。直径約120m。
19 長作築地貝塚 花見川区長作町 後・晩期 110×140 大半が盛土をして宅地とされた。
20 花輪貝塚 若葉区加曽利町 中・後期 100×140  環状。斜面貝塚。
21 六通貝塚 緑区大金沢町 中・後期・晩期 100×100  馬蹄形。上赤塚貝塚に貝層断面が展示されている。
22 へたの台貝塚 中央区仁戸名町 中・後期 200×200  点列。園生貝塚研究会によると、北西-南東110m,北東-南西80mで、3つのクラスターよりなる。約100mはなれた対岸に月ノ木貝塚がある。
23 押元貝塚 若葉区大宮町 中・後期 200×200  馬蹄形、点列。園生貝塚研究会によると、北西-南東50m,北東-南西110m.
24 菱名貝塚 緑区平山町 中期 180×180  馬蹄形、点列。畑など。
25 野呂山田貝塚 若葉区野呂町 中・後・晩期 200×170 点列、6ヶ所。空中写真
26 八反目台貝塚 若葉区野呂町 中・後・晩期 200×150 馬蹄形、点列。
27 廿五里北貝塚 若葉区源町 中・後期 150×150 環状、点列、6ヶ所。近くに廿五里南貝塚。
29 荒屋敷西貝塚 若葉区貝塚町 前・中期 150×120 点列、7ヶ所。『報告書』は馬蹄形とするが、疑問。しかし千葉貝塚(貝塚町貝塚群)のうちもっとも早い時期の貝塚としてきわめて重要な貝塚。国道バイパス延長計画線上。
30 有吉南貝塚 緑区有吉町 中・後期 120×120 有吉貝塚。馬蹄形、点列。5ヶ所。最近の『千葉市遺跡地図』等では「有吉南貝塚」。一部神社。一部公園化。周囲削平。200m北に有吉北貝塚あり。
31 滑橋貝塚 若葉区小倉町 中・後期 120×120 点列、7ヶ所。市指定史跡。「縄文の森」事業予定地。小倉市民の森。直径約100m。
32 大膳野北貝塚(大膳野貝塚) 緑区大金沢町 後期 100×100  点列、4ヶ所以上。貝殻散布は馬蹄形。
33 荒立貝塚 若葉区千城台東3丁目、金親町 後・晩期 100×100  東西70m、南北120m。馬蹄形、点列。鹿島川水系最奥部に位置するが、主要な貝種はイボキサゴなど東京湾北西部のもの。1kmほど南の都川を経て東京湾側に出て漁をしていたものと考えられる。印旛古鬼怒湾流域に特徴的に見られる土器塚状の箇所が見られる。宅地開発や道路舗装で蚕食されているが、一度も発掘調査が行われておらず、はなはだ遺憾。
34 有吉北貝塚 緑区有吉町字日照田 中期   点列環状。さくら公園(第二公園)として一部保存。ほか削平。有吉中学など。
35 大膳野南貝塚 緑区大金沢町138他 中・後期  80×80 1993年千葉県文化財センターによる確認調査によれば、東西80m以上、南北80m馬蹄形。(『千葉県文化財センター年報』平成5年度 No9)。縄文前期の集落、平安時代の生産遺構。布目瓦。中世の段整形遺構2、溝14条、土坑1。
※空中写真は国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を使用させていただいています。

  

 名称・数値等は、千葉県教育委員会『千葉県所在貝塚遺跡詳細分布調査報告書』1983年によっている。その後の調査で新たなデータが出ている貝塚があるが、測定方法の統一性を考慮し、あえて上記報告書のままで並べている。点列貝塚とされているものは、後順位においた。なお園生貝塚研究会『貝塚研究』でだされている数値を備考にくわえた。加曽利貝塚は南北二つの貝塚としてある。

 それにしても巨大貝塚(しかもほとんどが4,5千年前のもの!!!)がこれだけ分布している地域は、世界のどこにあるだろうか?壮観というほかない。千葉市はまさに「貝塚の街」である。

 また大貝塚だけでも貝塚町貝塚群の存在が傑出していることがわかる。貝塚町貝塚群はもともと千葉貝塚の呼称でひとつの貝塚としてとらえられていた。現代の貝塚研究者の中でも、貝塚町貝塚群を端的にひとつの貝塚としてとらえる見解がある。そうとらえると、ますますすごい。

 

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